3.木曽街道:小牧宿

庄内川にあった味鋺の渡し場跡です。木曽街道は東海道などの五街道と同様に、大きな川には橋を架けずに渡し場を設置していました。

庄内川

現在は船による渡しは廃止され、代わりにすぐ近くに歩行者専用橋が架けられています。
堤防沿いに歩いて歩行者専用橋へ向かいます。

庄内川堤防

庄内川を渡ります。

庄内川を渡る

細い路地を歩いて北上します。

木曽街道を北上

街道沿いには立派な門構えをした護国院があります。
天平年間に行基が創建したお寺で、立派な門が目を引きます。

護国院

境内には「清正橋」と呼ばれる橋が保存されています。かつて木曽街道の溝に架けられていた石造りの橋だそうです。

清正橋

清正橋の説明板

古い建物も残る路地を歩いて北上します。

木曽街道を北上

首切り地蔵です。女の身代わりとなって切られたと伝えられており、近づいて見てみると、実際にお地蔵さんの体が真っ二つに切られています。

首切り地蔵

首切り地蔵の説明板

しばらく細い路地を歩いた後、旧国道41号の大通りへと出ます。
旧国道41号を北上すると味美古墳群へ差し掛かります。


味美古墳群
春日井市二子町にある味美二子山古墳、味美白山神社古墳、御旅所古墳、味美春日山古墳からなる。 かつてはこの他にも前方後円墳や円墳もあったが、開発により滅失し、現在では先述の4基のみが残っている。


味美古墳群の一つ、味美二子山古墳に立ち寄ることとしました。
味美二子山古墳は全長96メートルの前方後円墳で墳丘の周囲には濠が掘られています。築造時期は6世紀初頭と推定されています。
周囲を歩くと、この古墳の大きさが実感できます。

味美二子山古墳

味美二子山古墳には隣接して公園があり、敷地内には埴輪のミニチュアが置かれています。
この日は穏やかな晴天ということもあり、多くの家族連れが公園内でくつろいでいました。

ミニチュア ミニチュア

道路を挟んで西側にある味鋺春日山古墳にも立ち寄ってみました。 こちらは全長74メートルで、築造時期は6世紀後半と推定されています。

味鋺春日山古墳

この古墳は史跡の指定を受けなかったためか、 墳丘部に藤棚が設置されていたり、古墳の斜面を利用した滑り台が設置されていたりと、一風変わった古墳となっています。

墳丘部


名古屋宿から小牧宿までは距離が長いので、途中に休憩所が幾つか設置されていました。 現在の味美駅付近にあった御小休み丹羽家はその休憩所の一つです。 宮宿にあった尾張藩御浜御殿門が丹羽家に移設されていましたが、現在ではさらに春日井市中央公民館に移設保存されています。

尾張藩御浜御殿門

緩やかな登り坂が続く穂麦坂には松尾芭蕉の句碑が残されています。
「いざともに 穂麦喰わん 草枕」

松尾芭蕉の句碑

木曽街道は自衛隊小牧基地の隣を進みます。

自衛隊小牧基地

壁の隙間からは戦闘機やヘリコプターが見えます。

ヘリコプター

小牧城を遥か前方に眺めながら歩きます。 徳川家康と豊臣秀吉が直接対決した小牧長久手の戦いでは徳川家康がこの小牧山城を拠点として戦いました。
小牧城の麓の街が、次なる宿場町である小牧宿となります。

小牧山城

小牧宿に到着です。小牧宿脇本陣跡の岸田家は屋根神様のある歴史を感じる建物です。 小牧宿には現在でも屋根神様のある建物が幾つか残っています。

岸田家

岸田家の説明板

小牧宿内には清須道との分岐点となる追分がありました。
この交差点を左折して西に向かうと、美濃路の宿場町である清須に至ります。

清洲道追分

追分には案内板が設置されていました。

清洲道追分の説明板

小牧宿には桝形とよばれるクランク型の道路があります。 この様な形の道が造られたのは敵が勢いよく侵入してくるのを防止するためとされています。
桝形のある戒蔵院には道標があります。
「南 名古屋」
「西 一の宮つしま清須」
「東 木曽海道」
と刻まれています。

戒蔵院

戒蔵院の道標

小牧宿付近では格子窓の古い建物を沢山見ることができます。

小牧宿の町並み


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