6.木曽街道:土田宿

切り通しの馬頭観音です。



この観音様も道標を兼ねた作りとなっており、 「右ハかち道」、「左ハ馬道、川渡ハ東道」と刻まれています。 ここを過ぎると土田宿はもうすぐです。

 

国道41号の下のトンネルをくぐります。



土田城跡です。築城は今から約500年も前に遡ります。
織田信長の生母・土田御前の出生地と伝えられています。



土田城の記念碑の近くに、新しい道標を発見しました。
「左 旧東山道」、「土田宿〜尾張に至る」と刻まれています。
なお、旧東山道とは、この近辺ではほぼ江戸時代の中山道のことを指します。 木曽街道と中山道の合流地点がもう近くに迫っていることが、この道標から窺えます。



可児川に架かる刎橋を渡ります。
一見、何の変哲もない橋なのですが、ここはなかなか絶景スポットなので、是非立ち止まっておきたい場所です。



この刎橋は、可児川の水面からとても高い位置に設置されている橋で、橋上からの渓谷の眺めはとてもきれいです。



街道の左手には鳩吹山が見えます。標高はあまり高くないのですが、頂上からの景色がきれいなので、手軽に登山が楽しめる山です。



土田宿本陣跡です。織田信長や徳川秀忠、初代尾張藩主の徳川義直もここに宿泊したという記録が残っています。





江戸時代初期は中山道の木曽川の渡し場が土田(土田の渡し)に設置されていたため、土田宿は中山道の宿場町として栄えました。 しかし、時代とともに渡し場が上流に移動し、また少し東に中山道の宿場町として伏見宿が新たに設置されたことにより、 土田宿は中山道の宿場町の座から陥落し、利用客も少なくなったそうです。


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