明智城址

明智城は岐阜県可児市瀬田長山にあるお城で、明智光秀の出生地と伝えられる城です。
岐阜県恵那市明智町にも明智城と呼ばれるお城があるので、それと区別するために長山城または明智長山城供呼ばれています。

明智城址
可児市は、戦国時代の悲運の武将:明智光秀の生誕の地である。 康永元年(1345年)に美濃源氏、土岐下野守頼兼が名字を「明智」と改めて、初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の当地に明智城を築城した。 以来、およそ215年間、ここに山城を構えていたが、弘治2年(1565年)に当時の美濃国の支配者、斉藤道三とその子義龍の争いに巻き込まれ、 義龍に攻められて落城。最後の城主であった光秀は、城の脱出に成功して明智家を再興したが、 ここへは戻らず、彼の死後も、再びここに築城されることなく明治維新を迎えた。(案内板より抜粋)

明智城のすぐ北にある天竜寺には、明智光秀の位牌と明智家の墓所があり、毎年、光秀公御法要が営まれるています。 天竜寺の駐車場に車を止めて、登城を開始します。 大手口から先は登り坂になっており、明智家の家紋に因んで桔梗坂と呼ばれています。

桔梗坂

明智城は自然の地形をうまく利用した典型的な中世の山城で、 この山の中央主峰、標高175mの頂上に本丸を築き、ここを中心として幾つかの別の峰に 小城塞、見張り台、城郭施設等を配置させてあったと考えられる。(案内板より抜粋)

縄張り図

途中には、大手門が復元されています。

復元大手門

薄暗い林の中、長い登り坂が続きます。城内の道は、敵が攻撃しにくいように比較的曲がりくねっているのが一般的なのですが、 明智城の登山道は比較的一直線です。

登山道

光が差してきて、広場が見えてきました。出丸跡のようです。

出丸跡

出丸付近には、明智城落城の際の戦没者を祀った「七ツ塚」があります。

七ツ塚

本丸跡です。
ベンチやテーブルが設置されており、休憩できるようになっています。

本丸跡

本丸跡

説明板

本丸から北方面の眺望です。
織田信長の側近として有名な森蘭丸を輩出した森氏の居城・兼山城跡がある山見えます。

北方面への眺望


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