滋賀県近江八幡市 −城下町近江八幡の町並み−

近江八幡は豊臣秀次が築いた近江八幡城の城下町として形成されました。 豊臣秀次が豊臣秀吉から謀反の疑いをかけられ高野山で切腹したことにより近江八幡城は廃城となりましたが、 その後も近江商人の町として発展し、江戸時代を通して商業地として繁栄しました。 現在でも江戸時代の町並みがよく残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

近江八幡の町並み

新町通りです。ここは近江八幡らしい風景の一つです。
安土城城下町の新町を移設して造られた地区と考えられており、江戸時代以降には多くの豪商を輩出したそうです。

新町通り

新町通り沿いには旧伴家住宅があります(左下の写真)。
伴家は江戸に活躍した商人です。江戸日本橋にも出店し、麻布・畳表・蚊帳を商いました。 明治時代になって住宅を当時の八幡町に譲渡してから旧住宅は小学校・役場・女学校と変遷しました。 戦後は図書館となり、現在では市立資料館の一部として利用されています。

また白雲館(右下の写真)は明治10年(1877年)に八幡東学校として建築された建物です。 学校として使用された後は、役場、郡役所、信用金庫等をへて、平成6年(1994年)に建設当時の姿に復元されました。

旧伴家住宅 白雲館

これまた近江八幡らしい風景の一つである八幡堀です。 豊臣秀次が近江八幡城を築いたときに、琵琶湖と城・城下町を水運で結ぶために造った堀です。 ここは時代劇などテレビ・映画の撮影がよく行われる場所でもあります。

八幡堀

八幡堀に架かる橋には常夜灯が残っています。常夜灯には宝暦12年と刻まれているので、約250年前に作られた物です。

常夜灯

八幡堀を渡り、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)へと向かいます。
こちらは日牟禮八幡宮の門なのですが、すごく立派です。

日牟禮八幡宮の門

日牟禮八幡宮の境内では、鯉のぼりが群れをなして泳いでいました。

日牟禮八幡宮の境内

日牟禮八幡宮の拝殿です。
伝説によれば、日牟禮八幡宮は131年創建とされ、成務天皇が即位の際に、武内宿禰に命じて、 この地に大嶋大神(地主神)を祀らせたのが、神社の起こりだとされているそうです 日牟禮八幡宮は、古くから近江商人の信仰を集めて栄えたそうです。

日牟禮八幡宮の拝殿

帰り道で八幡堀巡りをする船を見かけました。
のどかでいい光景です。

八幡堀巡り


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