敦賀市観光


青春18切符を利用して、福井県敦賀市に輪行をしに行ってきました。 今回は、実家から東海道本線で西に向かい、米原駅で北陸本線に乗り換えて敦賀駅へと向かうコースです。 米原駅で電車の先頭に何やらお飾りが付いているのを発見。これは、長浜〜敦賀間開業130周年を記念するプレートでした。

米原駅で

およそ3時間かけて敦賀駅に到着。ホームには「関西・中京から一番近い“日本海のまち”へようこそ!」の看板が。 そうです、敦賀市は日本海に面した港町で、中京圏から日帰りで行けるほど近いために、新鮮な海産物を食べるバスツアーよく出ています。

看板 130周年


改札を出たら、輪行バックから自転車を取り出し、サイクリングに出発です。 敦賀駅前から気比神宮に続くアーケード街は、シンボルロードと呼ばれています。 シンボルロードには、敦賀港開港100周年を記念して、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントが設置されました。 敦賀市の現在の「科学都市敦賀、歴史を引き継いだ港、並びに敦賀駅」というイメージと、 目指す将来都市像の「世界とふれあう港まち、魅力あふれる交流都市敦賀」の2つを重ね合わせて、キャラクターを選んだそうです。

999 車掌さん

メーテル、星野鉄郎、車掌さん、といったお馴染みのキャラクターのモニュメントを眺めながら自転車を走らせると、 ほどなく気比神宮(氣比神宮)に到着です。 氣比神宮は、日本書紀にもその名が登場する歴史ある神社です。敦賀は北陸道が通り、また港町であったことから、陸海交通の神様として信仰を集めたそうです。 氣比神宮の入口にある大鳥居は、奈良県春日大社、広島県厳島神社と並ぶ日本三大鳥居といわれ、高さは約11mあります。

氣比神宮

氣比神宮で参拝をすませたら、敦賀港に移動します。敦賀港は、三方を山に囲まれた港で、古代から大陸との貿易港として栄えました。 また、江戸時代には北海道のニシンや昆布などの海産物を運ぶ北前船の経由地としても栄えました。現在でも日本海側の重要港となっています。 赤レンガ倉庫は、1905年に作られた建物で、港町敦賀を象徴する建物です(左下)。

敦賀港 赤レンガ倉庫

第二次世界大戦中にナチス・ドイツから迫害を受けていたユダヤ人に対して、 リトアニア領事代理・杉原千畝氏は、当時の日本国の命令に反して、日本への入国ビザを発行し続けました。 その「命のビザ」を握りしめた多くのユダヤ人難民が、シベリア鉄道に乗り、ウラジオストク経由で敦賀港に渡ってきました。 そのため、敦賀港は「人道の港」と呼ばれています。 敦賀港に整備された金ヶ崎緑地に建つ敦賀ムゼウムには、杉原千畝氏やユダヤ人難民ゆかりの品が展示されています。

敦賀ムゼウム 館内

金ヶ崎緑地には、敦賀鉄道資料館が建っています。 資料館の建物は、1913年(大正2年)に建てられた旧敦賀港駅舎を再現したものです。 敦賀は日本海側としては早くから鉄道が整備された街で、資料館内には、鉄道に関する資料、鉄道模型などが沢山展示されています。 明治時代に敦賀〜ウラジオストクの定期航路が開設されると、 東京〜敦賀〜ウラジオストク〜ヨーロッパを約半月で結ぶ欧亜国際連絡列車が運転されました。 館内には、東京〜ベルリンの切符が展示されていました。実に壮大な鉄道旅行です。

鉄道資料館 切符

敦賀湾沿いに自転車を走らせて、気比の松原に移動します。 気比の松原は、三保の松原(静岡市)、虹の松原(唐津市)と並んで日本三大松原とよばれる景勝地です。 しばらく気比の松原で海を眺めたあとは、市街地を縦断し、日本海さかな街で昼食タイム。 新鮮な魚を食べたいが、敦賀名物のソースカツ丼も食べたいということで、 ねぎとろサーモン&ソースカツ丼をいただきました。

気比松原 丼


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